最後まで立っているということ
それは・・・
「どんな仕事でも、最後に立っていなければ意味がない。」
想像の世界に留めていただきたいのだが、その時、プロジェクトが大変で、体を壊している方が多かった。
(と、ちょっと柔らかく書きましたが、実際は凄まじくて、ここではとても書けません。)
この言葉を聞いた時、とても納得した。
それまで、「倒れたら、それはそれまでのこと。」ということで、突っ込んでいた所があったのだが、それも全くなくなった。
なぜ、なくなったのか?
実はこの言葉、考えると奥が深く、そしてプロフェッショナルのあるべき姿だと思ったから。
倒れてしまう・・・ということは、どこかで無理をして結果を出そうとしている。
で、倒れてしまうと、それどころじゃなくなって、仕事の結果について問われることはない。
しかし、立っていて結果が残せないとなると、その責任を追及されることになる。
つまり、プロフェッショナルとして、その評価を受けざるをえなくなる。
結果が出せなかった時に立っているということは、正直とてもツライ。
それに耐えられる精神力があるのかというと・・・。
と考えていくと、いっそメチャクチャやって倒れてしまった方が楽なのではないか?
と思ってしまった。
でも、それってプロフェッショナルとして恥ずかしい。
最後まで立っているというのは、それだけプロフェッショナル意識が高いからこそできるのではないか・・・。
そんなことを考えて、「最後まで立っていることにしよう。」と決意して、「倒れたら、それはそれまでのこと。」という無理をしなくなった。
という意識の変化があったのだが、ちょっとだけ補足。
「体を壊した人は、プロフェッショナル意識が低い」と誤解されるかもしれないですが、そういうわけではないです。
実際には、体を壊す要因は様々です。
ここで伝えたかったことは、「体を壊してもいい。」と思って仕事をするのと、「体を壊しちゃダメだ。最後まで立っていないと。」と思って仕事をするのと、どちらがよりプロフェッショナルかと言えば、後者の方がプロフェッショナルなのではないかということです。
個人的な経験として、この意識の変化が、その後の仕事に大きな影響を与えています。