言っていることと、やっていることの違い
今回はちょっとしたアラートというか、注意を促そうかなと思っています。
私は、読書や体験談を聞く時は、その人が言っていることをそのまま受け取らない様に気を付けています。
それはどういうことなのか・・・というと、ちょっと良い例があったので、その話をしたいと思います。
前回のブログですが、こんなことを書きました。
”私は健康の維持には興味ありません”
これをそのまま受け取るとしたら、どうでしょう。
健康にはあまり気を付けていないんだ、気にしていないんだと考えちゃいますよね。
それが普通だと思います。
ただこれが世間一般と比較するとどうなるでしょうか?
実は私は健康についてはこんなことを考えています。
トップアスリートは心技体全てで高いレベルを維持し、意識も高い。
ビジネスパーソンも当然、全て高いレベルでいないとね。
(どの仕事も尊いものであるならば、当然、自分がやっている仕事も心技体で高いレベルが求められるし、そうであってほしい。
自分は高いレベルで仕事がしたいから、そこには当然こだわる。)
ということで、そこに対して、妥協は許さない。
高いレベルで健康を維持するために、体重やら何やらの記録は付けていません。
記録はしていませんが、健康診断を行うと、驚くほど良い結果が並んでいます。
人によっては記録を取る事で高いレベルを維持する方もいますが、私の方法はちょっと変わっています。
目に見える数字以上に、自分の感覚を大事にしています。
感覚を大事にするということは、他の人と比較するとおそらく感覚が鋭いはず。
これ以上食べると体調を壊すなとか、今日はこれを食べた方が良さそうだ・・・とか。
カロリー計算でコントロールしないので、その感覚が鈍ったらたちまちおかしくなるでしょう。
20世紀に買った完全フルオーダーメイドのウェットスーツが今でも問題なく着られるということは、そういう背景があるかもしれません。
(なんてそれっぽいことを書きましたが、実際は体質が大きいと思いますよ。)
他にも、いろいろと厳しい制約をかけているみたいなのですが、個人的にはその辺はよくわかっていません。
ただ、この手の話をすると「ストイックだね」という言葉をもらうことが多いので、おそらく妥協はしていないんじゃないかなあと思っています。
ということで、そのストイックさを書くと若干自慢っぽく取られかねないので、ここでは書きません。
何が言いたかったのかというと、言葉尻だけを捉えると、健康には気を使っていないのですが、実際の行動を見ると、めっちゃ健康に気を使っているということです。
前回
”私は健康の維持には興味ありません”
と書いた際にフォローはしませんでしたが、この言葉の真意は、「自分の中では位置付けが低い」という意味で「他の人と比較した場合」はおそらく高くなると思います。
私はあまり他人と自分を比較して、ああだ、こうだをやることはないので、こういった表現を使う際には、過去の自分であったりとか、今現在の自分の中でどうなのか・・・という意味合いになります。
なので、自慢っぽくなるので、書きたくないのですが、世間一般と行動ベースで比較すると、健康には相当、気を使っていると言っても差し支えないと思います。
自転車で年間2,000km、ジョギング年間1,000km、他にサッカー、フットサルをやっていて、これだけ動いて不健康というのは、それはそれで難しかったりします。
ということで、体験談などを聞いていると、「自分の中で比較している」場合と、「他人と比較している」場合とがあるので、どちらの意味合いなのか気をつける様にしています。
(人によっては過去の自分と比較している場合もありますが・・・。)
そのため、意識の話だけでなく、かならずそれに基づく行動を確認しています。
”私は健康の維持には興味ありません”と言うならば、「真夜中に間食しまくっていますか?」とか「生活リズムはバラバラで夜更かししまくりですか?」とかとか。
結果を出されている方は、ただでさえ意識が高い上に、それが当然だと思っていたりするので、その意識が高いとは思っていません。
こういったふわっとした話は、レベルがずれてしまうことが多いので、客観的に判断できる行動ベースで確認するようにしています。
(読書だと、それが難しい場合があったりするのですが。)
ということで、書いてあることはそのまま鵜呑みにしない方が良いですよというアラートでした。
(私もできるだけ行動ベースの話をセットに書くように気を付けますが、ついつい忘れがちになるので、このブログを読む際には特にお気をつけ下さい。)
私は、読書や体験談を聞く時は、その人が言っていることをそのまま受け取らない様に気を付けています。
それはどういうことなのか・・・というと、ちょっと良い例があったので、その話をしたいと思います。
前回のブログですが、こんなことを書きました。
”私は健康の維持には興味ありません”
これをそのまま受け取るとしたら、どうでしょう。
健康にはあまり気を付けていないんだ、気にしていないんだと考えちゃいますよね。
それが普通だと思います。
ただこれが世間一般と比較するとどうなるでしょうか?
実は私は健康についてはこんなことを考えています。
トップアスリートは心技体全てで高いレベルを維持し、意識も高い。
ビジネスパーソンも当然、全て高いレベルでいないとね。
(どの仕事も尊いものであるならば、当然、自分がやっている仕事も心技体で高いレベルが求められるし、そうであってほしい。
自分は高いレベルで仕事がしたいから、そこには当然こだわる。)
ということで、そこに対して、妥協は許さない。
高いレベルで健康を維持するために、体重やら何やらの記録は付けていません。
記録はしていませんが、健康診断を行うと、驚くほど良い結果が並んでいます。
人によっては記録を取る事で高いレベルを維持する方もいますが、私の方法はちょっと変わっています。
目に見える数字以上に、自分の感覚を大事にしています。
感覚を大事にするということは、他の人と比較するとおそらく感覚が鋭いはず。
これ以上食べると体調を壊すなとか、今日はこれを食べた方が良さそうだ・・・とか。
カロリー計算でコントロールしないので、その感覚が鈍ったらたちまちおかしくなるでしょう。
20世紀に買った完全フルオーダーメイドのウェットスーツが今でも問題なく着られるということは、そういう背景があるかもしれません。
(なんてそれっぽいことを書きましたが、実際は体質が大きいと思いますよ。)
他にも、いろいろと厳しい制約をかけているみたいなのですが、個人的にはその辺はよくわかっていません。
ただ、この手の話をすると「ストイックだね」という言葉をもらうことが多いので、おそらく妥協はしていないんじゃないかなあと思っています。
ということで、そのストイックさを書くと若干自慢っぽく取られかねないので、ここでは書きません。
何が言いたかったのかというと、言葉尻だけを捉えると、健康には気を使っていないのですが、実際の行動を見ると、めっちゃ健康に気を使っているということです。
前回
”私は健康の維持には興味ありません”
と書いた際にフォローはしませんでしたが、この言葉の真意は、「自分の中では位置付けが低い」という意味で「他の人と比較した場合」はおそらく高くなると思います。
私はあまり他人と自分を比較して、ああだ、こうだをやることはないので、こういった表現を使う際には、過去の自分であったりとか、今現在の自分の中でどうなのか・・・という意味合いになります。
なので、自慢っぽくなるので、書きたくないのですが、世間一般と行動ベースで比較すると、健康には相当、気を使っていると言っても差し支えないと思います。
自転車で年間2,000km、ジョギング年間1,000km、他にサッカー、フットサルをやっていて、これだけ動いて不健康というのは、それはそれで難しかったりします。
ということで、体験談などを聞いていると、「自分の中で比較している」場合と、「他人と比較している」場合とがあるので、どちらの意味合いなのか気をつける様にしています。
(人によっては過去の自分と比較している場合もありますが・・・。)
そのため、意識の話だけでなく、かならずそれに基づく行動を確認しています。
”私は健康の維持には興味ありません”と言うならば、「真夜中に間食しまくっていますか?」とか「生活リズムはバラバラで夜更かししまくりですか?」とかとか。
結果を出されている方は、ただでさえ意識が高い上に、それが当然だと思っていたりするので、その意識が高いとは思っていません。
こういったふわっとした話は、レベルがずれてしまうことが多いので、客観的に判断できる行動ベースで確認するようにしています。
(読書だと、それが難しい場合があったりするのですが。)
ということで、書いてあることはそのまま鵜呑みにしない方が良いですよというアラートでした。
(私もできるだけ行動ベースの話をセットに書くように気を付けますが、ついつい忘れがちになるので、このブログを読む際には特にお気をつけ下さい。)