2015/11/11

ちょー暇人になってみる

ある方と、お互いの会社の現状を話していた時のことです。

「何かをやろうとしたら、両手が塞がっていたら出来ない。だから何かを捨てないと。」

と、この手の例え話はどこにでもある話なので、さらーっと流れていったのですが、いざ捨てようとした時に、その空いた手に何を持つのか?

おそらく手が空いている間を出来るだけ短くしようとして、次に持つであろうものの見通しを立ててから捨てるというのが、賢い選択のはずです。

が、そんなことをしていたら、いつまで経っても今持っているものは捨てられない。

そんな心配をしていると・・・。

「実際に手が空けば自然と埋まってくるよ」と。

ここまでもよくある話です。

そしてその方から見たら、私はお手ていっぱいの状態。
次の飛躍のために、こんなやり方もあるんじゃない?と言われたのが ・・・。

「今、埋まっている手で次をどーにかしようとしても、なかなか出来ない。
だから一旦空いて、そこでどーしても掴みたいものが、本当にやりたいことや必要なことだったりするよね。」と。

空腹にすることで、本当に食べたいものが見えてくると。

仕事を通して、ムリ、ムラ、ムダをなくして効率化するのが評価されている&自分も負担なく出来ているせいか、知らず知らずのうちに、何かといろいろとやっていてお手ていっぱいの状態。
どーも、そーいう傾向があるっぽいので、ちょー暇人で行こう、そーしよう。

というか、もう少し自分の欲と見つめ合っても良いかもしれないです。

課題って全部ないのが理想だよね。
だったら重要度とか緊急度とか・・・を整理して何も進まないぐらいなら、その辺の管理はそこそこに一個ずつ潰せばいいじゃん。

など、理想をベースに突き進んでいたりする仕事のやり方も影響を及ぼしていますよね。

実際にゼロになることはないとなると、時間が有限である以上、重要度は気にした方がいいかもしれません。

だからこそ、ちょー暇人で行こう、そーしよう。

終始、抽象的な話で申し訳ありませんでした。