伝えるとは、どういうことか?
ビジネスにおいて、伝えるとはどういうことか?
自分が言いたいことを言って終わり?
ではないですよね。
伝わって初めて終わりと言えると思います。
そうすると、伝える・・・というのは、なかなか骨の折れることだなと。
相手の立場に立って、考え行動する。
スピード感を出そうとして、ついつい忘れがちになるので気を付けたい所です。
ビジネスにおいて、伝えるとはどういうことか?
自分が言いたいことを言って終わり?
ではないですよね。
伝わって初めて終わりと言えると思います。
そうすると、伝える・・・というのは、なかなか骨の折れることだなと。
相手の立場に立って、考え行動する。
スピード感を出そうとして、ついつい忘れがちになるので気を付けたい所です。
マネジメントを日本語で訳すと、どうなるでしょうか?
管理って、出てきますよね。
個人的には、この訳し方は良くなかったのかもしれないと思うようになっています。
もしマネジメントを推進とかにしていたら。
というのも、マネジメント層が管理しようとして、ある時点の状態を知りたがる。
マネジメントに報告するのに時間が取られ、目の前で起こっていることを止めてしまう。
というのは悲しいですよね。
推進であれば、マネジメントとして出来ること、意思決定や判断をしてもらうという形であれば目の前のことが進んでいきます。
デジタル化で、情報がリアルタイムで集まるようになっているからこそ、この推進を意識したい。
と言いつつ、そのデータをどう解釈するかは人が担うので、それもまた悩ましい話ですが、管理するのではなく推進するという意識は心がけたいなと思っています。
仕事をしていて話が早いなあと感じるのは、目的を伝えたら、すぐ行動してくれた時です。
とは言え、これは簡単にできないことなので、細かい指示をすることもあります。
がロボットを動かすようにあらゆるパラメータの設定をしないと動かないとなると、どうしたものかなと思ったりします。
そして目的を言わず、やってほしいことを話した時、なぜやらないといけないのか突っ込んでくるのは、まだ幸せなのかな。
やらされ感を感じるのもまだ幸せなのかなとも思い始めました。
なぜならば、その人達は、まだ目的を知ろうとしているから。
先ほどのロボットの様にパラメータ設定を求めるのは、その目的に興味を持っていないから。
こうなると、なかなか自発的に動くのは難しくなるので、不満があるのも良い兆候と思う様になりました。
物事を見る時に、自分なりの尺度を持って見ることは、その物事を理解する助けになります。
ただその尺度だけで、わかった気になるのが一番怖い。
おいで、おいでの手招きが、国によってはあっちに行けというジェスチャーになるように真逆の解釈が生まれたりします。
となると、自分の尺度で理解して終わりではなく、その後に真逆も踏まえ考えられる選択肢を網羅する事が、そのものを理解することだなと。
ついつい端折りがちなために、自戒も込めて書き残しておきます。
ビジネスにおいて、正しいことをいうのは大事なことです。
ということで、正しいことを言ったら話が進むかというと、面白いことに進まないこともある。
そんな時に、よく相手が悪い、正しいことを言った自分は正しいみたいな発言を聞くことがありますが、この発言は気をつけなければと自戒しています。
相手が正しい話を進められないのは、正しいと知っていても、できない理由があるからです。
シンプルな理由だと単純に優先順位で後回しになっていたりなど。
ということで、仕事を進められる人は、正しい発言だけでなく、それを進められない阻害要因を明らかにして取り除くことができる人だなと。
ここは肝に銘じて仕事に取り組まねばと思っています。
仕事を進める上で、具体化と抽象化、どちらもとても大切なスキルになります。
具体化をするには、想像力、抽象化を行うには、普遍的な物事の本質を見つけたり、共通性を見つけるなど、それぞれ求められる力は異なってきます。
例えば具体化と抽象化、どちらが得意ですか?と聞かれて答えることはできますでしょうか?
おそらくどちらか一方が得意と答えられるのではないでしょうか?
ということで、自分の中で得意、不得意の仕分けをしているのかなと。
実際の仕事の現場では、仕事内容によって具体化が求められたり、抽象化を求められたりと行ったり来たりするので、どちらがより必要かという観点で仕事をまとめて、得意な方をやる、やってもらうというのは、仕事を任せる一つの視点として面白いかもしれないと思いました。
前回、自転車の例で計画の話を書きましたが、この話のポイントは、緻密な計画がないと実行に移せない・・・という会社の意思決定の話に繋がります。
そのような会社がある一方で、真逆の会社はどのようにしているかというと・・・x月x日に自転車に乗れるようにします。そのためには、これだけのコストと体制が必要です。
以上、承認をもらって実施する。
とすると、当初の計画通りには当然いくわけがありません。
これは計画が稚拙だから・・・というわけではなく、雨が降ったり、風邪をひいて練習ができなかったり、不確実な出来事が必ず起こるからです。
でもコミットした日付は変わらないので、必死になってやり方を考える。
ライトを付けて、夜に練習する?
雨合羽を着て練習する?
そうして、意地でも、コミットした日に自転車に乗れるようにする。
そのような会社もあったりします。
個人的には、どちらの進め方も一長一短があるので、どちらか一方が優れている・・・とは言わないですが、達成度が高い、達成数が多く見てきたのは後者かなと思っていたりします。
計画を立てる時に、どこまで緻密に行えばいいのか?
ちょっとそんなことを考えさせる出来事がありました。
具体的には書けないので例え話になってしまうのですが、例えば自分が自転車の指導員だとして、子供が補助輪なしで自転車が乗れるようになるために計画を立てるとします。
この例で考えるとわかるのですが、どれくらい練習が必要かは、人それぞれ幅がありますよね。
また練習日程も雨が降ったりして予定通りいかないかもしれません。
となると、大切なのは、バッファーを持ちつつ、日々練習を行なって少しずつ、その計画を調整する。
ということで、実践がポイントになってきます。
ところが、その感覚がなかったりすると、子供に指導をしてきた経験があるから天気もわかるだろう、天気予報の精度をもっと上げて計画してほしい・・・なんて、はちゃめちゃなリクエストが来たり。
自転車の例では、そんなわけわかんないことを・・・と笑って済ますことができますが、ビジネスの世界では、ここが曖昧でわからないことがあります。
したがって、この曖昧さをなくして、自転車の指導員に天気予報の精度を上げろって言っているのと同じですよーと、どうしたら伝えられるかなと日々思案しています。
ご意見番と聞くと、どのようなイメージを持たれますでしょうか?
仕事におけるご意見番となると、好き勝手発言だけして行動が伴わないので、ネガティブな評価になりがちですよね。
が、個人的にはそこを前向きに捉えると、また違ったものが見えてくるということで、考え方を変えてみます。
意見が言えるということは、その分野に対する知識、知恵、知見を持っているということ。
それを上手く引き出すことが出来れば、良いのではないか・・・。
うーむ、ChatGPTの方が優秀な気もするぞ・・・。
と、考え方を変えようとしてみましたが、仕事は行動をして初めて結果が出る。
結果で評価をする・・・となると、発言だけでは・・・と、当たり前の考えに立ち戻ってしまいました。。。
ChatGPTにブログを書かせたら、それっぽい話をそれっぽく作ってくれました。
下記に貼り付けたのですが、読んでみると、一目瞭然。
面白みがないですよね。
まだまだ指示の出し方が上手くないようです。
使い方によっては、仕事のパートナーになるので、使いこなしたいと思って、色々触っています。
タイトル: "成功への第一歩:目標設定と計画の重要性を私の経験から"
こんにちは、皆さん。私の今日のブログでは、私自身の経験を通じて、成功を収めるための第一歩についてお話ししようと思います。私はITベンチャー企業の創業者であり、成功に向けた具体的なステップを踏んできました。
まず、私の場合、ビジョンは「効率的なビジネスプロセスを提供し、クライアントの業績を向上させること」でした。このビジョンを実現するための具体的な目標として、「新たなクライアントを獲得し、年間売上を200%増加させる」ことを設定しました。
その後、計画を立てました。新たなクライアントを獲得するために、営業チームを強化し、オンライン広告を活用することを決定しました。具体的なステップとして、営業チームの採用プロセスを開始し、オンライン広告戦略を策定しました。さらに、計画の一環として、従業員のトレーニングと開発にも焦点を当てました。
ここで、私ならではの要素が登場します。私は常にイノベーションと技術を重視しました。したがって、計画には新たなテクノロジーの導入も含まれていました。例えば、顧客向けのオンラインプラットフォームを開発し、クライアントにより価値のあるサービスを提供できるようにしました。このテクノロジーの導入は、私のビジョンを具現化するための鍵となりました。
そして、コミットメントと進捗の評価です。私自身とチーム全体が、目標達成に向けて献身的に働きました。進捗を定期的に評価し、必要に応じて調整しました。そして、年間売上を200%増加させるという目標を達成し、新たなクライアントを獲得しました。
経験から学んだことは、ビジョンを持ち、具体的な目標を設定し、計画を立て、自身の強みや独自の要素を活かすことが成功への第一歩です。皆さんも自身のビジネスにおいて、これらの要素を活用してみてください。成功への道が開かれることでしょう。
プロジェクトを停滞させるような課題が発生した時にどのようなアプローチが取れるでしょうか?
ということで、考えてみると、ざっくりと2つの方向性が見えてきます。
1. 今、できること、対応できることは何か?
2. あるべき姿(その課題が解決した姿)から逆算して、何ができたらいいか?
上記1は比較的、イメージが付きやすいので、話は難しくありません。
一方2の方は、何ができたらいいか・・・というのが見えないことがあります。
そのような時は、何をすれば何ができたらいいかわかるか・・・といったさらに深掘り、細分化したプロセスが必要になってくるわけで・・・。
ここが何とも難しく、また価値を生みやすいポイントではあるのですが、どうやったらうまくいくのか、実践できるのか。
単純に経験で片付けたくないのですが、再現性のあるコツが見えているわけでもなく。
一つ言えることは、先ほどの何をすれば何ができたらいいかわかるか・・・といった問いかけ、頭に汗をかく作業をやり続ける・・・というのはポイントかもしれません。
前回、評価される勇気を持つと仕事が進むという話をしましたが、言葉を変えると、どういうことか、それが今回のテーマ「可視化」です。
良くも悪くも可視化されていると、そのテーマだけに没頭できます。
だからこそ、下手でもいいので、可視化する。
手を動かすメリットはそれなりにあります。
と言いつつ、ただ闇雲に手を動かすのはなかなか難しいので、とっかかりになりそうな視点を共有すると、私はよくマトリックスを作成します。
重要度と緊急度の4象限にする・・・ではないですが、ごちゃごちゃしたものを、何かの視点で分けられないかな・・・みたいな形で整理することが多いです。
こういった型というかパターンを持っておく、手を動かす経験があったりすると、どんどん上手くなって短時間でできるようになってくるのかなと思います。
仕事をする上で持ちたい勇気は何か?
個人的には・・・
「評価をされる」
この勇気を持つといいことがあります。
仕事で、次に何をやったらいいかわからない、どうすればいいかわからない・・・ということは往々にしてあります。
個人のタスクベースでもありますが、組織、グループといった単位でも発生します。
そうした時にどうするか?
私は、ざっくりと次に何をしたらいいか・・・たたき台というか、議論ができそうなものを用意して会話します。
この時の資料は、点数がつけられるなら100点満点中、10点や20点だったりします。
なぜそれでも出せるのか?
それは、これをベースに評価してもらう、そこからみんなの意見を吸い上げれば、仕事が前に進むのがわかっているからです。
学校教育に慣れていると、点数が低いとダメ、仕事ができないと評価されてしまう・・・と怖がってしまうのですが、その勇気が克服できればメリットはたくさんあります。
その1:意見、評価はなぜかみんなできる(なので、現状を整理しやすい)
その2:意見や評価に加え、改善や改良点を出してくれる人は、仕事ができる&キーパーソンになってくることが多い
意見ください=責任が伴わない、評価してください=偉くなった感じで気分がいい・・・せいなのかわからないですが、停滞していた空気を変えるのには効果的。
必要以上に自分を下げたり、評価を落としてしまうのは良くないので、当然、これがたたき台で完成品ではないこと、とっかかりであることなど、伝え方のテクニックもあるかもしれませんが、勇気を持つだけで仕事が前に進むのは大きいです。
最初の一歩を踏み出すのは難しいですが、手に入れたら重宝します。
前回のエントリで改革と改善の違いをざっくり書きましたが、今回は、もう少し具体的な話で考えてみようかなと思ったので、書いてみます。
例えば、下記のようなテーマがあるとします。
「あなたの月間支出をxx%削減してください」
20%削減してください・・・と言われれば、改善っぽいですよね?
また、何をやればいいのか何となくイメージが湧いてきます。
今の支出項目を眺めて、無駄を見つけて切り詰めるイメージです。
では、改革テーマとなると、どうでしょう?
何となく・・・
50%削減してください。半減してください。
と言われたら、改善ではなく、根本的に変えなくてはいけないな・・・と思うのではないでしょうか?
また具体的なやり方も、簡単には出てこない感じです。
例えば、実家に帰る・・・。
そうすれば、家賃、光熱費、食費が全部ゼロになるよね。
みたいな、今までと全く違ったライフスタイルが求められそうな感じがします。
これって本当にこの生活に変えてしまっていいの?・・・という決断が必要になったりするので、なかなか実現は難しいです。
と、身近な例に例えると、改革案を出す難しさと、それを実行する時の意思決定、決断力が求められる・・・と難易度が格段に上がっていることが理解できるかと思います。
なので、ここに果敢にチャレンジできる社風や会社は、普通にすごいなと思います。
また、そんな会社も、チャレンジできるように様々な仕掛けがあったりするので、その辺はとても勉強になります。
DXなど流行のキーワードをテーマに予算がついて、着手したい、やりたい・・・という話が来た時に、面白いなあと思うことがあります。
それが、タイトルにある「改革がしたいのか、改善がしたいのか?」です。
ざっくり言ってしまえば、改善がしたいのであれば、As IsとTo beのギャップ埋め。
改革がしたいのであれば、ターゲットとする目標にどうたどり着くのか考える。
例えば今回のDXというテーマであれば、経産省の定義では「企業がビジネス環境の激しい変化に対応し、データとデジタル技術を活用して、顧客や社会のニーズを基に、製品やサービス、ビジネスモデルを変革するとともに、業務そのものや、組織、プロセス、企業文化・風土を変革し、競争上の優位性を確立すること」とあります。
上記定義でいくならば、改善ではなく、改革に近い意味合いとなります。
となると、現場を調査して、現在のお困りごとや問題点を整理して改善していくことよりも、経営層、トップがテーマと目標を選択、決定する・・・流れが自然。
なのですが、意外と、この選択、決定が胆力がいるせいなのか、できない、難しい。
これは一緒に伴走するために提案する会社も同じだったりします。
(どのテーマが響くのか、読めない、わからない、外したくない。)
当然、改革テーマは改善テーマと比較して、実現可能性も読みにくい。
ますます改善テーマが具体的なイメージが湧きやすくて、そちらに流れてしまう・・・みたいな展開もあるあるなのかなと思っています。
私達は社内で「さん付け」で呼んでいるぐらい風通しの良い会社ですって言っている会社ほど、それを意識しているぐらい、階層を気にしている・・・そもそも気にしていない会社、風通しの良い会社は、さん付けを意識しないで空気のように使っている・・・のと同じようにDXができているところは、DXって言われる前から、DXをやっていたりしますが、こういったところも、DXが推進できるか否かのポイントになるかもなあと思っています。
これまで仕事をしてきた中で、当初の計画、最初の計画が守られたことはどれだけあったでしょうか?
ここで言う計画とはQCD(Quality/Cost/Delivery)のことです。
と、振り返ると、意外と守られていることはなかったような・・・。
と言うべきなのか、進めていくうちにQuality(必要となる品質や仕様)が見えてきて、CostやDeliveryが固まってくるような・・・。
そのような感じがします。
個人的な感覚を例え話で表現すると、仕事における計画とは、プラモデルの設計図というより彫刻を作るようなものかなと。
プラモデルを作る場合、全てがはっきり記載されていないと、組み立てられません。
しかし実際は、そのような細かい所まで見えているものではなく、彫刻のように少しずつ削って輪郭が見えてくる、ハッキリしてくるものなのかなと。
となると、計画というものは常に変更・修正が求められるもので、QCDのうち、どこがどれくらいまで変更可能なのか、変更が許容できるのか・・・というものを見極め、調整しながら進めていくものなのかもしれません。
と、ここで面白いのは何社かとお付き合いさせて頂く中で、特徴が見えてきたことです。
例えばDelivery。この期間必達という縛りが強くない所は、読みかえると可能な限り早くしてねという意味だったりするので、余計なバッファもなく、結果的に最短最速で達成していたりします。
遅れたら刺されるようなカルチャーの会社だと、余計なバッファがあったり、Qualityが保守的だったりして、結果的に期限は守られるが、品質は最低限だったり・・・みたいな傾向が出がちかなと感じます。
と、QCDの観点から、自分が関与している仕事の計画が、どのような変更が行われているか追っていくと、なかなか面白い示唆が得られるかもしれません。
できる営業は、自ら話をするのではなく、お客様に話をさせますよね?
ということで、この話はいろいろな所で言われており、実際そうなんだと思います。
また、できる営業は、お客様のことをよく見ている。
共感する力もすごいし、気が利く、細かいことに気が付く。
そうそう、それそれ!と思わず唸ってしまいます。
自分が接してきた、できる営業の方達を見て真似をしてみよう、良いところを取り入れてみようとは思うのですが、正直、自分は、他人を観察する力がなく、共感したり、気が利くみたいなアクションはニガテ。
苦手なことを克服するのは、なかなか難しい。
そこで、考えたのが、質問力です。
自ら会話するのではなく、お客様に話をしてもらう・・・となると、説明する力よりも傾聴、質問する力を磨いた方が良さそうだ。
ということで、質問するよう心がけるのですが、当然、質問が詰問になってはいけません。
また関係ができてから突っ込んだ質問を・・・ということでアイスブレイクみたいな会話、パーソナリティを知ってから・・・みたいな世界もありますが、背景や文化が全く異なる世界では通用しなさそうだなというのと、個人的に、そのような時間をもったいなく感じたり、相手のパーソナリティや自分のパーソナリティを共有することに全く興味がないこともあって、仕事に関係のあることだけで、済ませたい。
と思いながら、あれこれ試行錯誤をしてきました。
その結果がこちら!
と体系立てて整理されていれば、いいのですが、この世界はまだまだ未熟なままのような気もします。
私はよく「仕事でストレス溜まらないんですね」と言われる方なのですが、なぜそうなのか?
理由を聞かれると「ダメだったら、契約解除、クビにしてもらえばいいから」と答えています。
その答えを聞くと、ビックリする方が多いのですが、本当にそのような気持ちでいます。
このような気持ちでいられるのも、仕事はたくさんあるから。
何も評価されない相手と無理に付き合わなくても、評価してくれる、活躍してくれる場は世の中に転がっています。
というカラクリなのですが、これって経験を積んで自信をつけないとなかなか思うことは難しいですよね。
ということで、若かりし新人の時に、ストレスを溜めないよう考えていたことがこちら。
しょせん仕事。
どういうことかというと、地方クライアントの仕事をしていたある日のこと。
仕事を終えて、帰る際に離陸をした飛行機の窓から外を見ると、眼下にクライアントオフィスが見えました。
ああ、あんなちっぽけな場所で行われていることなんだ。。。
世界は広く大きい。
そう思うと、悩んだり苦しんだりすることが馬鹿馬鹿しくなってきました。
というキッカケから、経験と実績を積んでいくことで、冒頭のような考えに繋がっていったのだと思います。
ということで、ストレス対処にはいいのですが、一方で、会社を大きくしていく、世の中にインパクトを与えていくという視点から見ると、また違った悩みがあって、これはまた機会があれば。
スキルとテクニックの違いって何でしょうか?
言葉の定義をしないと会話にならないことは重々承知の上、そこまで固い話をしようとは思っていないので、ライトにいきます。
自分が過去に身に付けたテクニックで今も十分使えているものは何だろう?
自分が過去に身に付けたスキルで今も十分使えているものは何だろう?
このように問いかけた時に、テクニックが陳腐化していることが多いのは気のせいでしょうか?
テクニックはテクノロジーの進化で代替できていることが多いような・・・。
ということで、言葉の定義をしなくても何となーく自分が身に付けたものをスキルとテクニックに振り分けて見てみると、 面白い発見があるかもしれません。
社会人生活が長くなり、10年20年単位で語れるようになってくると、世の中のトレンドも一周回って過去に経験してきたことが流行りだすような感覚が最近あります。
それが何で、どうなるんだと細かい話をしろと言われると困るのですが、何となく感覚として新しいようで、どこか懐かしいような。
もしかすると本質的に同じもので、トレンドがどうこうというのは関係ないものかもしれません。
もしかすると、これまでの経験の積み重ねが、新しいものに対して臆することなく対応できているだけなのかもしれません。
これが歳を重ねることなのかもなあと思いながら、新しいことにはチャレンジしていきたいです。
コロナのおかげで、忘年会、新年会、歓送迎会といった類に全く呼ばれなくなった&開催されなくなって、しばらく経ちますが、その間、仕事にどのような影響があったか、改めて振り返ってみました。
結果、個人的には全く影響ないなと。
元々、そういった場所でコミュニケーションを取るタイプではないことが主な要因だと思います。
従って、飲みニケーションは不要だとか、そういうことを言うつもりはなく、むしろ今まで飲み会を重視していた方が、この変化にどう対応していったのか、そちらに興味があったりします。
これは在宅ワークが増えたこととも関係するかもですが、コミュニケーションのやり方・手段の変化がどう影響したのか?
個人的には、よりアウトプット・成果物を意識するようになっています。
直接、顔を合わさないリモートとなると、何で評価されるのか?
そこを意識すると、アウトプットで評価してもらうしかなく、そこは以前と比較して強調するようになっています。
とはいえ、一度も対面であったことなく、先方が顔出しNGで、その顔もわからず、声だけで仕事を進めて終わってしまう・・・というのも、なかなか面白いですよね。
ジョブディスクリプションと言う言葉は知っていますでしょうか?
ざっくり言うと職務の内容を詳しく記述した文書のことですが、これがあるのと、ないのとでどう違ってくるのでしょうか?
あまり日本企業が外資がと言うつもりはないのですが、総合職的なゼネラリスト的な人材が活躍している会社とプロジェクトを行うと、割とジョブディスクリプションが曖昧で進んでいるような気がしています。
そうした時にどうなっているのかというと、みんな気が利いて周りを良く見て仕事をしています。
自分の責任範囲が曖昧のため、周辺の関連する仕事を気が付いた人がやると言った文化、進め方だったりします。
気が利くので、とても仕事が出来る感じがします。
その人にどんどん仕事が集まっていきます。
人に仕事が張り付くイメージです。
と、個人で見ると、とても良いのですが、仕事の規模感が大きくなると、どうなるのか?
自分ができる範囲は限られるので、どうしても他の人達と連携する必要が出てきます。
誰が何をやるのか定義が事前にされているわけではないので、進めようとすると、結果として人の重なりが増えます。
つながりが見えにくいため、全体像を把握するために、多くの人を集めなければならなくなる。
とならないように、ドキュメント化が大事だよねと言うのは簡単ですが、実際には難しい。
なぜならば書いたり残したりするインセンティブが直接的にはないからです。
裁量や責任が明確ではないため、自分がやりたいことをどんどん行う、スキルを身に付けるには良い環境なのかもしれませんが、一方で、裁量や責任が明確ではないと言うことは評価が難しいとも言えます。
その辺のバランスも含めて、組織のあり方って正解はないですね。
最近ドキュメント化の重要性を痛感したので、備忘として書き記しておこうと思います。
と言いつつ、正確に言うと、ドキュメント化とテンプレート化の2つだったりします。
システム開発において、ドキュメントって大事ですよね。
そのシステムがどのようなものなのか、データフロー図であったり、データベースの設計書であったり。
クラウドサービスが主流となる中、自社開発を行わないのであれば、実はあまり意識をしなくても良い所かもしれません。
そして、ドキュメント化なんて当たり前のことで、何を今更って感じですよね。
では、なぜ今回、その当たり前を書き記しておこうと思ったのか?
それは素晴らしいコンセプトも形になっていなければ全く意味がないと思ったからです。
データの流れとかデータベースって、放っておくと、どんどん肥大化、複雑化していきます。
そうならないような素晴らしいコンセプト、思想、方針があったとします。
が、この方針も、ドキュメントを作って、形に残していかないと結局、肥大化、複雑化していってしまう。
(肥大化、複雑化していくってことは、そもそものコンセプトがいけてないからじゃない?と言う疑問もあるかもしれないですが・・・。)
ということで、様々な人が形に残していくのですが、ドキュメントがテンプレート化して共有されていないと、十人十色のドキュメントが出てきて、どれが正しいのかわからなくなってしまう。
システムってゼロイチの世界で曖昧さがない世界のはずなのに、何だかわからない。。。
と言う興味深い現象が起こったりします。
そうなると、どうなるか?
ドキュメントではなく、それを知っている(担当している)人達が、正しい(内容が理解できる)人となり、開発・保守がベンダー固定になってしまったり、その人がいなくなった途端、誰も理解できない状態になり、バグ潰しや、アップグレードの難易度が上がってしまったり・・・みたいな未来が想像されます。
ということで、当たり前を当たり前に行なっていく大切さを改めて書き残しておきました。
いろいろな会社と一緒に仕事を行なってきて、一つ感じることがあります。
それは使っているPC端末に社風が表れるなあと。
弘法筆を選ばずという言葉がありますが、端末は馬車と車ぐらい進化の激しいものだと思います。
さらにクラウドサービスと繋げると、その効果、効率性は大きく異なります。
従って、どの端末を選定するか、どのクラウドサービスを利用しているかなどに個性が出てきます。
レンタル品で安いのはいいが、すぐにキーボードが壊れてしまう。
メモリが低くて処理が遅いので、複数端末で同時利用している。
常にその時の最新版を購入して、快適利用。
学習コストはかかるが、常に最新のクラウドサービスを利用して効率化。
と、先端を走る会社と、そうでない会社の動きは思った以上に大きいです。
とは言え、どの会社もなくなってきたなあというものもあります。
・人数分、印刷しての会議(パワポやエクセルの印刷書式の設定とは???印刷自体、久しく行っていないので、ドライバインストールなどのあれやこれ、トラブル関連がなくなりました。)
・版管理(これはまだ完全になくなっていないですが、例えばGoogleスライド、スプレッドシートなどを利用する会社であれば、版はGoogleさんが全部管理してくれる&デグレのトラブルも随分なくなりました。)
・メールでのやりとり(ファイルのやりとりに関連するあれやこれやの問題もあるので、今はチャットサービスでグループを作ってやりとり。ファイルはクラウドストレージで共有。これもまだ完全にはなくなっていないですが、最初や最後の挨拶など冗長なやりとりがなくなってきているのは良い兆し)
と、簡単に何個か挙げてみましたが、このように記録に残しておいて、数年後、読み返してみると、そのギャップがとても面白いです。
何か嫌なことがあった時に誰かのせいにしたくなりますよね?
そのような時にちょっとした自己啓発書には、他責ではなく自責で考えてみよう・・・みたいなポジティブシンキングが提示されていたりします。
おそらくそれは正解だとは思うのですが、個人的にはもう少し踏み込んで考えるのもアリかなと思っています。
それは、感情ではなく、行動にフォーカスすることです。
感情の問題なので、ぶっちゃけ他人のせいにして大いに怒り狂ってもいいのかなと。
ただ、その怒りのままだと、同じことは繰り返されるし、結果も変わらない。
従って、感情は赴くままでいいが、同じ結果にならないように、自分には何ができるか考えてみる、そして行動してみる・・・のが大事だと思います。
というのを、他責ではなく、自責で考えた結果、自分が悪い、自分のせいだ・・・と、一人で勝手に落ち込んで、何もできなくなっている人を慰めながら、気が付きました。
個人的に感じていることですが、もし自分が試行錯誤や努力をして、今のスキルや立場などを手に入れたとしたら、後に続く人に同じことを強要したらいけないと思っています。
強要というと言葉が悪いですが、自分の経験をもとに、どうすればうまくいくか・・・という説明も、もしかしたら良いことではないかもしれない。(つまりアドバイスも・・・です。)
そう感じたのは、再現性の視点からです。
アドバイスやコツを聞かれたりする・・・としたら、それは成功しているからとなります。
その成功は誰でも実現できるのか?
実現できる人が少ないから、目立つし、アドバイスやコツを求められるのではないか?
となると、伝えるべきは、そのまま自分が取り組んだことではなく、自分がやったことよりもより早く、より確実に再現できるようにすることではないか?
試行錯誤や努力をしたからこそ、知っていることを仕組みやノウハウとして構築するべきではないか?
と考えていたりします。
一方で、秘伝のタレみたいな隠すことは何もないので、アドバイスを求められた時に、無邪気にそのまま答えてしまう自分もいたりするのですが、なかなか深いテーマだったりします。
最近のトレンドと言うべきなのか、様々なサービスを見ていて感じるのは、以前は、モノを所有する、購入することでお金をもらっていたのが、今は、そのモノを使って得られる価値に対してお金をもらう・・・というものが増えてきています。
(わかりやすいもので言えば、レンタルやシェアリング系のサービスの価値はこの辺りですよね。)
となると、Webサービスなどで、システム機能について顧客要望があがってくるのは、よっぽどのこと・・・と考えるのは競争優位を作る上で一つの視点として持っていても面白いかもしれません。
顧客要望があがってくると言うことは、使用することによって得られる価値にお金を払っているのに、その使用ができない・・・と言えます。
となると、普段からお客様がどのように使用しているのか、何に価値を感じているのか、何に困っているのか・・・とお客様の立場を考えざるを得なくなります。
これって素晴らしい取り組みですよね。
お客様目線を忘れないように。
(と言わないとできないのではなく、言われなくても自然とやっているようにならないと・・・ですね。)