2006/06/28

議論をする力

「高齢化社会で若者がいなくて過疎が進むって言うなら、いっそのこと、おじいちゃんおばあちゃんをどんどんその街に集めちゃえばいい。そして、その街にディズニーランドみたいなテーマパークを造って孫が遊びに来る理由をたくさん用意してあげればいいんじゃない?」

「世界の富裕層のお子様が学ぶような学校を造って、そこに全室スイートのホテルやカジノを造ったり、世界の富裕層が過ごせる街を造ったら、その街にお金が落ちてくるんじゃない?」

なんだか突拍子もないことに聞こえるかもしれないけれど、このような話をした時に、相手の反応によって、その人が議論をする力があるかどうかわかる。

つまり、仕事における会議力があるかどうかがわかる。

例えば「今の日本の規制ではそんなものは造れない。」、「財源はどうするの?」という反応であれば、思考停止。

未来は過去の延長線にはない。

だから現在の規制は、一つのチャレンジ(課題)でしかない。

財源についても、具体的にいくら必要なのか洗い出して、現状使用できる財源はいくらあって・・・とたくさんのToDoがあるはず。

なので、この時点ではダメ出しではなくてToDoの洗い出しであったり、判断基準の議論に行かないと・・・。

例えば「面白いアイディアですね。」というのも思考停止に近い。

問題意識を持っていれば、こういったアイディアベースのものはいくらでも出てくる。

他の人が「あれがない。」、「これがない。」と愚痴や文句を言っている時間に頭を使えば、冒頭のアイディアはすぐに出てくる。

そして最近、変わってきたのかな・・・と思うのは、世の中が不透明であることが鮮明になってきただけに、こういった突拍子もない話で議論が出来ないと結果を残すことが難しくなりつつある・・・ということ。

欧米人と比較して、日本人が決定的に弱いところでもあるような気がする。

一般的に議論ができると思われているコンサルタントという職業の人でも出来ない人はいる。
(結構、たくさんいるような気がします・・・。)

議論の進め方を知っていても、冒頭みたいな話をした時に自分のポリシーや今までの経験を主張して、こちらの真意を知ろうとはしない。

結果、建設的な議論に発展しない。

ポリシーや経験は大切だけれども、それが活かせる場面なのか・・・というゼロベース思考ができるかどうか・・・。

このゼロベース思考は大切だと昔から言われているけれど、その重要性が今後ますます強くなっていくのがこれからの世の中のような気がする。

どういう世の中なのかというと、これを読んで自分を振り返った時に、あまり実感を伴わなかったとしたら、そういった方達が取り残されていく時代に突き進んでいるということです。

ということで、今回は理解する話ではなく、実感する話でした。