2006/05/08

相手の立場に立つ

相手の立場に立って考える。
これは、なかなかチャレンジングな取組。

例えば、物事を進める時に、大きな課題を抱えていて、目的達成がとてもチャレンジングだったとする。

この時、過去を振り返って「あの時、こうしていれば、こんな課題は抱えなかったのに・・・。」と後悔することもできる。

ただ個人的には、後悔することは全くない。

後悔すれば過去が変わるのであれば、大いに後悔する。
でも、そんなことはありえない。

そんなヒマがあるならば、今ある課題をしっかりと受け止める。
そして、それをどう解決して目的地にたどり着くかを考える。

このように考えた方が望ましい結果が得られることがわかっているので、この考えをメンバーと共有して、しっかりと進めていきたいと思っている。

なので、仕事だけに関わらず、事あるごとに、伝えているんだけれど、なかなか伝えるのは大変だと思う。

なぜ大変なのか?

それは、相手の立場を全く考慮していないから。

相手からすれば、「そりゃそうだけど、今のこの大変な状況わかってんの?」、「それって理想論じゃないの?」という突っ込みを言うことができる。

正直、ここまで読んできて、「偽善者ぶって・・・。」、「言葉が軽いんだよね。」、「ウソっぽい。」、「重みがない。」という人もいると思う。

では、どうすればいいのか?

ここで取りうるアプローチは2つ。

・自分に共感してもらう。
・相手に共感する。

例えば、「自分に共感してもらう。」というアプローチを取るとするならば、自己開示から入っていく。
今回の話で言えば、過去を後悔しないのは、自分の体験からきている。

いきなり重たい話になるけれど、実は過去に病気で大切な家族を失っています。

彼女は、明日生きたいと願い、一生懸命頑張ったにも関わらず、生きることが出来なかった。

そして、亡くなった人の体にはぬくもりは全く感じられない。

横たわった体に触れた時、何とも言えない冷たさが、自分の手の指先から伝わってくる。
その時の感覚は、今も鮮明に残っている。

そして、どんなに言葉をかけたとしても、体を揺さぶっても全く返事がない。

そこには、ただ体が横たわっているのみ・・・。


そんな経験をしてしまうと、

今、生きていることは、実はスゴイ幸せなこと。
さらに健康でいられるなんて、もう奇跡としか言いようがない。

と考えてしまう。

なので、正直、過去のことでクヨクヨしていられない。

彼女が生きられなかった分、今を精一杯、一生懸命生きようと思う。

ということで、個人的には、「死」というものが非常に身近に存在するので、生きることに大きな幸せを感じることができる。

今日生きることが出来なかった人達のことを考えると、過去を後悔しているヒマがあったら、今を一生懸命生きた方がいい。

だから、過去は後悔するものではない。
(むしろ今日幸せに生きることができている礎なのだから、素晴らしいものだと思う。)

そして、過去に選んだ選択は、自分にとってベストな選択だと思っている。


と、このような経験と考えを持っているのだが、この自己体験をもっとリアルに疑似体験できるような説明をすれば、相手も共感してくれて、考えを共有することができると思う。

ただ個人的には、そのパターンではなくて、相手に共感して、相手の立場から、考えを共有するというパターンを取りたいと思っている。

正直、このような話をするのがツライというのもある。

ただ、一方で「自己開示をしないとダメなの?」という疑問も持っているから。

何でもそうだけど、簡単に分けると「誰が言ったの?」と「何を言ったの?」のバランスの話だと思っている。

で、おそらく自分個人は、世間と比べると「誰が言ったの?」にあまり重きを置いていないんだと思う。

そして、全くの偏見だけど、「誰が言ったの?」の比重が重い人が多いような気がする。

「誰が言ったの?」というのをとりあえず置いておいて、「何を言ったの?」ということを真摯に受け止め、考えることが少ないのではないかなあと。

見る時は、「誰が言ったの?」→「何を言ったの?」という順番になると思うんだけど、「誰が言ったの?」だけで、良し悪しを決めている人が多いような気がする。

大切なのは、両方をバランス良く見ることなんだけど・・・。

なので、「何を言ったの?」ということを考える機会を持ってもらうために、「相手に共感する」というアプローチを取りたいと思っている。

「何を言ったの?」に重きを置くことができれば、「出会う人は、皆、師匠。」

本当に多くのことが学べて楽しいです。